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フィクショナルなドキュメンタリー映画として秀逸。感染症パニックを淡々と描く「コンテイジョン」の感想とレビュー

2011年に公開された映画「コンテイジョン」は、ジャンルで言えば感染症パニック映画、いわゆるディザスターもの。比較的公開年が新しいこともあり、「現実に起きそうなこと」を、淡々と描いている。端的に言って大変面白かった。

同様に感染症を扱った映画としては「アウトブレイク」があるが、アウトブレイクがストーリー全体を通じて「事態を隠蔽したい米軍と感染拡大(とそれに伴う作戦行動)を防ぎたい医療現場」という、比較的明確で大きな仮想敵をおいて対立軸が描かれているのに対し、本作における明確な敵は描かれず、感染症をなんとか収束させたい医療チームと、その過程で小競り合い的に発生する様々な障害との局地戦がストーリーを紡ぎあげている。

医学的な意味での敵は感染力が強く発症してからの進行も非常に早いけど感染から発症までにある程度時間がかかる、嫌なタイプのウィルス。ゾンビ映画ではないので感染した人が凶暴化したりとかはない

途中、誰から誰に感染したのかを監視カメラの映像から想定していくシーンが有り、このあたりも現代的だなぁという印象。抗体を持つ猿の行方を追うのが主な目的のひとつとなる「アウトブレイク」とは異なり、本作では多くの猿に感染させてみて抗体を持つものを探すため、感染経路の特定は相対的に優先度低めではあるけれども、それでもやはり誰から誰へどのように感染していったのかを解き明かす過程はとても面白い。最後の最後にある意味どんでん返しがあるけれどもこれは映画の進行上も、映画の世界の中での医学的な意味合い上もあまりクリティカルなどんでん返しではない。むしろ、そこが厳密に特定できていなくても「ワクチンを開発してパンデミックを収束させる」という目的さえ達成できればいいというゴールも大変リアリティがあってよい。

医学的でない方の意味での敵はおそらく「社会」であって、この事態を利用して名を上げようとしたり金を稼ごうとしたりする者もいるし、この種の映画でお約束な略奪や強奪といったシーンもある。また、「この立場でそれをやったらあかん」という人たちが個人的な諸々の事情から微妙に足を踏み外していくのも極めて現代的な問題の描き方であると感じる。

2020年の現状と照らし合わせてみても「確かな情報がなく、根拠のない陰謀論や民間療法の耳触りが良い」ということに端を発する問題提起も大変現実的で、そっちを封じ込めるほうが、ウィルスの封じ込めよりもよっぽど大変、というのは本作のメッセージの一つとなっている。

このあたりの現実味、現代らしさを丁寧に描いている関係で、出演している俳優陣の豪華さと比べて展開が地味である、という評価もあるようだが、むしろこの展開の地味さだったり起伏の小ささだったりがこの映画の見所であると感じた。ジャンルとしてはパニック映画だが、「フィクションのドキュメンタリー映画」と捉えて鑑賞するのも面白いように思う。

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