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変化・進化、そして変容へ

2022シーズンのホーム最終戦となる町田-甲府戦が終わり、セレモニーが始まる。

17年間スタジアムDJを続けてきたタスクさんが卒業される、という送り出しムードに続いて、極めて硬い表情で挨拶に立った大友社長。その口からはこんな言葉が出てきた。

ゼルビアの大友でございます。

まずは甲府サポーターの皆様、過密日程の中、町田までお越しいただきありがとうございました。素晴らしい試合だったと思います。

そして、町田ゼルビアのサポーターの方、本日も平日のナイターということで非常に迷惑をかけてしまったんですけれども、最後の最後まで選手に声をかけていただいて後押しをしていただき、ありがとうございます。

今日も残念ながら皆さんに勝利を届けることができませんでした。申し訳ございません。

今シーズンは3年目の集大成ということで、クラブハウスの運用が始まり、万全の準備をして臨んだシーズンでした。

シーズン前に私が「最低でもプレーオフだ」という話をしていた時に、選手から「自動昇格を狙わなければそこの位置には居れないんですよ」と逆に教えられた機会がありました。

勝負の世界は本当に厳しく残酷で、選手はピッチで100パーセント力を出し切ってくれているんですけれども、さっき言った私の「せめてプレーオフ」という、そういう甘さがクラブ全体の勢い、これを選手に届けることができず、少し失速した形になったのかなという風に思っております。

集客でもなかなか結果が出ておりませんので、僕らは事業のほうもスタッフのほうもしっかり努力をして、変化して、進化してはいるんですけれども、やはり首都圏、J1の強豪クラブ、J2歴史のあるクラブ、様々なライバルがいる中で、「変化・進化」だけでは多分足りないんだと思います。

「変化」じゃなくて「変容」していくような覚悟でやっていかなければ、選手に勝たせることができないと、非常に責任を感じている次第です。

ただ、ここで止まるわけにはいきませんので、残り1試合J2チャンピオンの新潟さんとの試合もあります。そこで選手たちが躍動して勝ちをとれることを信じていますし、また、次のシーズンに向けてもしっかりと戦っていきたいという風に考えております。

引き続き、FC町田ゼルビアをよろしくお願いいたします。今シーズンもありがとうございました。

DAZN「町田vs甲府:第41節」02:41:22 ~ 02:44:44

3分半ほどの挨拶中、本当に大友さんは苦しそうに言葉を絞り出していたというのが正直な感想だ。いろいろと思うところもあったのだろう。本当にお疲れさまでしたと(声を出せる席だったら)声をかけたいようなそんな挨拶だった。

Twitterで見ていてもサポーターの多くが気になった言葉として「変容」というキーワードがあった。
デジタル大辞林によれば「姿や形が変わること。姿や形を変えること。」と説明される「変容」という言葉。そこに大友さんは何をこめたのだろう。

以下、何の根拠もないただの想像なのだけれども、2023シーズン、ゼルビアに訪れる「変容」とは何なのかに思いを馳せてみる。

僕は2010シーズンからゼルビアの試合を見ているけど、今のような熱意をもって見ているのは2014年の相馬監督体制になってからになる。相馬監督は2年でゼルビアをJ2に復帰させたわけだが、当時、相馬監督がしょっちゅう口にしていたキーワードは「我々はチャレンジャー」だった。おそらく最初の4年間の目標は「J2を維持する事」だったと思う。2018年に初めて「6位以内」という目標を掲げて最終結果は4位。しかし2019年は最終結果18位。この2年間は「J1を目指す」ということをかなり明確に意識していたと思うし、実際2019年は長年の課題だったJ1ライセンスを取得したので現実的な目標だったと思われる。

相馬監督のサッカーはチャレンジャースピリットの権化のようなスタイルだったと思っている。縦横を極端に圧縮し、限定されたエリアの中での数的優位を強引に作り出し、サイドライン際で相手にクリアされながらも「限定されたエリア」をじりじりと前進させていき、ひとたびセットプレーのチャンスを得ればそれを高い確率で決めていくサッカーだった。相馬監督は「我々はチャレンジャー」と繰り返したが、これは裏を返せば言葉は悪いが「チーム力が相対的に低い中で勝ちに行くためのサッカー」だった。相馬体制最後のシーズンとなった2019シーズンの途中でサイバーエージェントの資本が投入されることになったが、それまでの間、ゼルビアはJ2の中でもかなり経済的な規模の小さなチームだったし、その限られたリソースの中で勝ちに行くためには極端な戦術を取らざるを得なかった。その極端に圧縮されたサッカーはかなり大きな成果を上げたものの、必然的に大きなサイドチェンジに弱い。2019シーズンは特に他チームから研究され、ゼルビア対策が他チームに共有されてしまったように思う。

この時期の試合を見ていて感じたのは「引き出しが少ない」というところだった。対策されたときにさらに別の戦術があれば対応できたかもしれないが、いかんせん当時のゼルビアにはその余裕はなく、強烈な圧縮サッカーを相手に押し付けていくしかなかった。言い方を変えれば、相馬監督体制でのサッカーは「チームとしての約束事を明確にし、その約束事の中に相手チームをハメていく」というものだったし、その約束事を守れない選手はチームにとっての必要性を感じさせることができなかった。

この傾向は、2020シーズンに相馬監督からポポヴィッチ監督に代わってからもある程度継承されたように感じている。ポポヴィッチ監督のサッカーは相馬監督のそれと比較してだいぶ「普通のサッカー」に寄せてきており、前線からプレスをかけて相手チームのビルドアップを妨害し、うまくいけばその場でボール奪取、大きなサイドチェンジも含めてのショートカウンターに持ち込むし、仮に長いパスを相手に蹴られてもフリーで蹴らせないことでパスの質を落とさせて中盤でカットするというのが基本的なスタンスだったと認識している。この狙いはおそらく「相手の陣形が整わない状態で攻撃する」ということに最終的には向かっていると思っていて、実際、相手チームが引いている時間帯に崩せないシーンが多かった。

この反省を生かしたのが2021シーズンおよび2022シーズンだった。引いて守る相手への対策としてワンタッチパスを多用して積極的に崩していくスタイルが加わった。まさに「加わった」という感じで、特に2021シーズンは2020シーズンに見られた「ハイプレスからのショートカウンター」に「加えて」、引いた相手をワンタッチパスで崩す、という作戦がきれいに嵌ったシーズンだったと思う。

きれいに嵌った一方で、このやり方は相馬監督時代の「約束事」がさらに強化されたような形になった。つまりハイプレスでの相手のハメ方、どのタイミングで「崩すサッカー」に切り替えるのか、といった「チームとしての有機的な動き」が非常に高いレベルで求められることになった。これは特に2021シーズンに非常にうまく機能したが、裏を返せば選手への戦術の浸透も必要だし、選手には高い戦術理解度を求めることになる。その結果、スタメン及びベンチが固定化される流れが出てきてこれが2022シーズンにはチームに重くのしかかることになる。

つまり2014シーズンから2022シーズンまでの9年間、ゼルビアは「チームとしての力」にはっきりと重心を置き、チームとして動くことが選手に強く求められていた。これは最前線の選手についても求められており、というか、むしろ最前線の選手にこそ強く求められており、例えば2022シーズンに「最前線」として使われていたドゥドゥ、鄭大世、ヴィニシウスといった選手たちにも献身的な、かつ、中盤の選手と連動した守備が要求された。結果としてドゥドゥがチームにフィットするのにほぼ1年かかったし、ヴィニシウスは2022シーズン中にはフィットするには至らなかった。ちょっと例外的なのが鄭大世で、チームとしての約束事が求められてはいたと思うが彼には前線でボールを収める圧倒的な力があり、そこを期待しての投入が多かったので、プレスの強度そのものはそこまで求められていなかったように感じられる。

少しまとめると、この9年間のゼルビアはチームの中に明確な決まりごとがあり、それを守ることが大前提というスタイルだったと思っており、それをベースとして例えば強烈なスピードを持つ太田修介であったりカットインの切れ味の鋭い吉尾海夏であったり中距離での突破力のある平河悠だったりのタレントがそれぞれの局面でそれぞれの良さを出していく、という形だった。

冒頭の大友社長が語った「変化・進化」とは、チームとして全体で動くというベースを変えないまま、タレントを付け加えていくことで、チームの姿を大きく変えずにチーム力を上げていく、ということだったと理解している。

だがこの方向性は2022シーズンに大きく破綻した。きっかけとなったのはコロナ禍や負傷で長い期間戦列を離れなくてはいけない選手が出てきたことと、2022シーズンのスタートに際して十分な選手の人数を揃えられなかったことだった。チームとしての約束事が深化していけばいくほど、そこにフィットできる選手の数は少なくなる。フィット出来ている選手の中に交代で入った選手のフィットの度合いが低ければそこが穴になる。それが起点となり出場選手の固定化が始まり、その影響を受けて選手の疲労蓄積が目に見える課題となり、その課題は解決されないまま2022シーズンの最終版を迎えている。

そんな中で大友社長は「変容」が必要と言い切った。これを僕は「個の力」を求める方向への舵切りと受け取った。
つまり、チームとしての約束事を、ゼロにするわけではないだろうけれどもかなり少なくし、選手個々の判断や技術での打開を求めていく方向になっていくのではないだろうか。

これはあくまでも想像だけれども、ポポヴィッチ監督体制になってから何度か「サイバーエージェント側から打診した強化案をチーム側が断った」と受け取れる話があった。今思うとこれは「チームとしての約束事をきっちり履行するタイプではないが個の能力が極めて高い」ような選手の獲得に対して、チームが二の足を踏んだのではないだろうか。かなり長い期間にわたって「チームとして動ける」ことを最も重要な獲得基準にしていたところにそのような選手を入れることで発生する不協和音を嫌ったのではないだろうか。

僕はチームとして一つの生き物のように動き、相手チームをハメていくやり方を見ていて非常に面白かったし大好きなのだけれど、それは相馬監督が就任当初に「我々はチャレンジャーである」と自認していた時のやり方の延長線上にあって、つまりは「限られたリソースの中で何とか勝利をもぎ取るためのサッカー」だと思っている。身も蓋もない言い方をすると「J2に安定して所属する(=J3に落ちない)」ことを至上命題としていた時のサッカーであって、J2の中で安定的に上位に位置しJ1を狙うことを主眼に置いたサッカーではなかったように思う。

実際、対戦して「本当に強いなぁ」と感じるチームは、戦術の引き出しが多く、こちらがハメようとしてもいなされてしまう。チームとしての決まり事でいなすケースもあるけれども、本当に対戦していて怖かったチームは、フィールドの選手一人一人が新たなチャレンジを仕掛けてきて、それに周囲の選手が感じあって連動してくるようなチームであって、それはチームとしての決まりごとの範疇内であったり範疇外であったりはチームとしての方針としてあるにせよ、個々の裁量が大きく、また、選手の才能としてその裁量を任されるに足りる技術とアイデアを持っていると言い換えて良いと思う。

恐らく、だけれども、2023シーズンに向けてのゼルビアの方向性はこの手の「個のクオリティの高い選手を使っていけるチーム作り」なのだろうと思っている。決して銀河系軍団的な意味合いではなく、チームとしての決まりごとはありつつもその制約を少し緩めて、選手個々の才能を活かし、選手自身の判断に対する裁量を広げていくのではないだろうか。僕はその方向は決してネガティブなものではないし、J1を目指すということはそういう余地のあるチーム作りが必要なのではないだろうか。つまりはチームとしての決まり事を相手チームに押し付けて勝つことに加え、その「押し付け方」を個々の選手に任せていくような方向性の変化、言い換えれば「弱者のサッカーから強者のサッカーへ」の転換が必要なフェーズに来ているのだと感じている。「必要な」というとちょっと悲壮な感じがするのだけれどもそうではなく、「強者のサッカー」を志向できるようなフェーズにゼルビアが来ている、というように理解している。

チームとしての方向性に変更があるということで一番気になるのは「今いる選手、活躍している選手、貢献してくれている選手を切るのか」というところになるのだけれども、「強度をもって前から圧力をかけていきボール奪取する」みたいな基本的な部分を抜本的に変える、例えばドン引きで守って縦ポンで最前線のタレントを持った選手に渡してロングカウンター狙い、みたいな変化のさせ方はしないだろうと考えているので、選手が残ってくれる意思表示をするのであればバッサバッサと首を切る、ということにはならないだろうと思っている。というかそうであってほしい。もちろん、2022シーズンへの深刻な反省としてチームの人数に余裕を持たせる必要はあるからそこで個としての才能の高い選手を獲得する方向性はあると思うし、それに伴って既存の選手にさらなる競争が生まれ、結果として出場機会を失っていく選手が出る可能性はある。だが2022シーズンへのもう一つの反省点としての選手起用の固定化による弊害はチームとしてしっかり認識できているはずなので、残ってくれた選手が新たなチーム作りの中でしっかりとパフォーマンスを出せれば、選手のローテーションからいきなり外れるということはないと思っている。

来シーズンへの具体的な期待は、ひとまず2022シーズンが終わってから改めて考えてみたい。今日のところは「大友社長の言っていた『変容』が何を企図していそうか」の妄想にとどめておこうと思う。

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